使徒 8:1‐4サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。…散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。
今週は岐阜県で開催されたJEC7(日本伝道会議)に出席してきました。JEC7 は、聖書を「信仰と生活の唯一の規範となる神のことば」と信じる福音的な教会の宣教協力のために、1974年から数年おきに開催されてきた会議です。7年ぶりとなる今大会にも2000人を超える教会教職者や宣教団体が集まりました。
4日間に渡って多くの分科会などに出席してはっきりと見えたことは、私たちが体感している教会の現状や課題は、日本全国の教会が抱えている課題だということです。教勢の低下、著しい高齢化、牧会者不足による無牧教会の加速と教会数減少、コロナ禍に受けた諸々の影響‥など、日本の教会全体が紛れもなく危機の時代に生かされています。現状は大変に厳しいものであり、信仰の名を借りた現実逃避の歩み方では決して超えられない波です。教会はしっかりと現実に向き合い、祈り、信仰による行動を持って戦っていく必要があります。
また、同時にそのような「危機の時代にこそ教会は刷新され広げられていく」ことを私たちは見つめる必要があります。初代教会はステパノの殉教を機に、激しい迫害に遭いました。恵みの内に建て上げられた家々の教会の殆どが閉鎖され信徒たちはエルサレムを追われましたが、彼らは教会を失い散らされていく中で異邦人(新しい人々)に福音を語り始め、福音は主の言葉の通り「ユダヤから地の果て」に向かって広がり始めました。
教会を取り巻く状況がどれだけ厳しくなろうとも、主の働き自体が後退することは決してありません。むしろ新しい形を持って広がる機会となるのです。
大切なことは、私たちがいま使徒8章と同じような状況の中に生かされていることを受け止めているかどうかです。また現状の厳しさや教会の衰退に意気消沈してしまうのではなく「福音」に生きることが大切です。初代教会の信徒たちが親しんだ家や教会や仲間を失いながらも、救われた喜びを失うことはありませんでした。そして、危機の中にあっても福音の喜びを証し始めるところに主の驚くべき新しい御業は開かれていきました。
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