マタイ28:19あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、・・・
野球やサッカーには熱狂的なファンが存在します。彼らはホームチームを愛し自分たちもチームのメンバーであると信じていますが、厳密にいうとファンはメンバーではなくお客さんです。
メンバーはプレイヤーであり、ファンは傍観者です。そういう意味において両者には大きな違いあるのです。
このようなメンバーとファンの違いを指摘しながらアイドルマン師は教会に対して次のような示唆に富んだ言葉を投げかけました。
「あなたはイエス様のファンですか?それとも弟子ですか? カイル・アイドルマン」
この問いかけを初めて聞いたとき、改めてクリスチャンとしてのアイディンティティーを考えさせられました。私たちの多くはクリスチャンの定義を「イエス様を信じている人」と思っていますが、実はその定義は正確ではありません。
もちろん、「救い」は信じるだけで与えられますが、聖書がクリスチャン:キリスト者という人達を指し示すとき、それは「キリストの弟子」として定義しています。
では、「弟子」とはどのような存在か?簡単に言えば主(師)に生き方に学び、実践する人です。また、弟子とは客ではなく、主と共に働く側の人々のことです。
今日、教会の中には「私はイエス様が大好きです!」という人は多いでしょう。素晴らしいことです。しかし、「私はイエス様の弟子です。」という自覚を持ってみ言葉に学び、生活の中で主に従っている人たちはどれほどいるでしょうか?
日本基督教団:赤磐教会の額田師は、イエス様の大宣教命令の中において、「人々を弟子化することが、水のバプテスマを授ける前に命じられていること」を指摘しています。
つまり、イエス様は受洗前に人々をまずキリストの弟子とすることように命じてられるわけです。主イエスを信じることはファンになることではなく主の弟子となることを最初からイエス様ご自身が求めておられるのです。
「not a fan.ファンではない。」アイドルマン師は、魅力的・快適・便利を追い求めて「信徒のお客さん化」が進んだアメリカの教会にそう語りかけます。日本の教会も同じ問題を抱えています。私たちも弟子というアイディンティーを取り戻していきたいと思います。
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