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「キリストの体」としての教会:伝道と増殖

 日本全国に教会は約8000程あると言われますが、実際にはこの数字が提示されたのは何年も前であり、教会数は年々減少しているのが現実です。クリスチャン情報ブックの教会数の変化を見ると、この2年間で408もの教会が全国から消えたことが確認できますが、かなりのハイペースで減少しています。そして、教会が次々と閉じられていく圧倒的な理由は信徒の高齢化です。つまり、それは裏を返せば日本の多くの教会が次世代を生み出すことが出来ずこの2・30年を過ごしてきたと言えます。本来、教会こそ「キリストのいのち」が溢れている場所であり、次世代が次々と生み出されていく場所のはずです。しかし、日本の教会全体が次世代を生み出すことが出来ずに漕ぎあぐねている。悲しいですがそれが私たちの目の前にある現実です。


 いのちを生み出せない教会。私はこの現状を思うときにアブラハム夫妻の姿が頭の中に浮かびます。子が出来ない現実に失望して、神の約束を早々にあきらめ僕に家督を譲る算段を立てる夫アブラハム。妻サラは子を産めない自分に後ろめたさを感じて女奴隷に子供を産ませてみたり…。「子を与える」という神の約束とはかけ離れた現実の中で、あきらめや妥協案に埋もれていくアブラハムたちの姿に、自身を含めた日本の教会の姿が重なります。


 私はいのちを生み出すことができない現実の中で、アブラハムが導かれた二つのことに注目することが必要だと思います。一つ目は、もう一度「子を与える」と語られる神の約束を聞くということです。二つ目は生み出すために当たり前のことをすることです。アブラハム達は子を産めない老体であることを自覚しつつ、神が再度約束を語られたとき、み言葉を信じて夫婦の交わりを持ちました。普通、子供が与えられるときに通る自然なプロセスなのですが、老夫婦には大きな信仰のチャレンジだったと思います。しかし、この二つを通して約束の子が与えられました。教会に置き換えて考えるなら、次のいのちを生み出すために必要なのは、約束を信じて当たり前のようにイエス様と福音を愚直に証する伝道だと思います。

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