「いのちを生み出せない教会。」先週からこの現状にアブラハム夫妻の姿を重ねながら考えていますが、いのちが生みだされていくために必要なことをもう少し考え見たいと思います。アブラハム夫妻は子供が造れなくなった高齢の体から約束の子を授かりました。この点においては神様の奇跡ですが、子を授かる方法に関しては自然なプロセスを通りました。つまり、夫婦の親密な交わりを通して子を授かったのです。
パウロは夫婦関係を「この奥義は偉大です。エペソ5:32」と語り、夫婦関係をキリストと教会を表す型と教えています。そのこと踏まえて教会がいのちを生み出していくために必要なこと考えるなら、まず「交わり」が必要だということが出来ます。キリストと私達、聖徒同士の喜びのある交わりです。食事をしたり、楽しい時間を一緒に過ごしたり、互いに信仰を語り合ったり、祈りあったり、一緒に学んだり…、そのような親密な交わりがあるところに、「あの友達も、私の家族も一緒にこの信仰の交わりを共にしたい!」という純粋な願いと祈りが生まれ、福音を伝えるエネルギーとなります。
もちろん伝道プログラムも大切ですが、どれだけ優れたコンサート等をしても、教会という場所が伝える側本人にとって本当の喜び場所でなければ「こんな所に大切な人を誘えない。」と心では思ってしまうのが人の心です。伝道で重要なことは、伝道以前にまずは私達が「主にある喜びのある交わり」を教会の中で持っていくことです。考えて見れば当たり前のことなのですが、でもこの当たり前が疎かになり交わりが乏しい教会の現実が私たちの目の前にあるではないでしょうか。
また、福音を伝えるとういう当たり前も大切です。人が救われるのは「福音を聞き、信じる時に救われる」のです。楽しい交わりの中に新しい方を招くことが出来たならば、そこで終わりではありません。その中で時を見図らないながらもしっかりと福音が語られ伝えられていく必要があります。私たちは家族や友人に、イエス様を証しする準備をしているでしょうか?機会を十分に生かし福音を伝えようとしているでしょうか?「いのちを生み出す教会」は当たり前を自身に問い直す所から生まれます。
Comments