ルカの福音書19章10節 「人の子(イエス・キリスト)は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
東京の地下鉄、東京メトロ忘れ物センターには年間約66万件以上の落とし物が届けられるそうです。落し物はハンカチ、タオル、手袋、マフラー、傘、ICカードといったものがとても多いそうですが、中にはカブトムシなどの生き物の忘れ物もあれば、700万円の現金の忘れ物が届けられたこともあったそうです。
膨大な数の忘れ物は一定期間センターで保管され、最終的には専門業者に買い取られ「鉄道忘れ物市」で売りに出されて行きます。ある方が初めて鉄道忘れ物市を訪れた時に思ったことをこのように述べておられました。「様々な忘れ物が積み上げられ、安い値段で売られていました。…大量の忘れ物に圧倒されながら、帰り際に自問自答しながら思いました。何であんなに忘れ物が多いのだろうか?…ああ、落とし主が取りに来ないからか。あの落し物たちは落とし主にとっては、探しに戻る手間をかけるほどのモノでは無かったということだろうな。」
失くしたモノに対する私たちの価値を考えさせられる言葉でした。
もう何年も前のことですが、実家で飼っている猫の2匹の内の1匹が帰って来なくなったことがありました。家族で連日近所を捜しました。朝早くに探しに出かけ、仕事から帰って来ても暗闇の中で必死に探しました。猫の失踪から5日目、家族の皆が「もう帰ってこないかも…」と諦めかけるなか、特に猫をかわいがっていた私の弟はその日の晩もあきらめずに探しに出かけました。そして、弟はついに近所の農機具小屋に閉じ込められていた猫を見つけ出しました。
私たちは自分にとってあまり価値の無いモノ、または代替可能なものは労力をかけてまで探そうとはしません。しかし、自分にとって大切なモノを無くしたなら犠牲と労力を惜しまず必死で探します。特に「いのちの探しもの」においては必死で探し続けるものです。
クリスマスは、2000年前に天地をお創りになられた神様が、イエス・キリストという人となられてこの地上にお生まれになったことをお祝いしています。つまり、クリスマスとは「神がご自分の下から失われた人々を探しに来られた物語」なのです。
聖書に記されている神様は人に無関心な神様ではありません。またはお布施や善行を積み上げる者に目を留める神様でもありません。ご自分が造られた全ての人間を心から大切に思い、「神なんていない。人生に救いなんてない。」と、神様との関係を失い彷徨う様に生きている人を探しに来られた神様なのです。
キリストは今日も「あなたをという大切ないのちの探しもの」しておられるのです。あなたがキリストに出会われることを心よりお祈りしております。
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