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アサの祈り


Ⅱ歴代誌14:11 アサはその神、主に叫び求めて言った。「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。」

南ユダ王国の名君アサは主を慕う素晴らしい王でした。彼の治世に南からクシュ人が攻め上がってきたことがありました。南ユダの軍力が58万に対して、クシュ人たちは100万の軍勢。しかも相手は最新鋭の戦車を並べて押し寄せてきています。圧倒的な不利な状態の中でアサは「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。」と祈りました。

神学生になったばかりの時に当時学院長だった大田裕作師が、「アサの祈りは、『神様、あなたにとっては10点のクリスチャンでも、80点のクリスチャンでも、100点にすることに変わりありません。あなたはそれが出来る方です。私を助けて下さい。』と祈ったってことです。」と教えてくださいました。つまり、アサの祈りは力ある神様の前において「私達側の足りなさ」は全く問題ではないという信仰告白です。

当時私は自分は神様の前に足りなさを感じていました。何か奉仕が出来るわけではく、それどころか沢山の罪の習慣を抱えているこんな自分ではダメだろうと感じていました。10点クリスチャンだと感じていました。

しかし、アサの祈りの話を聴いたときに「10点だろうが、80点だろうが、神様にとって100点にすることは同じことなのだ!イエス様は十字架で10点の私を100点にして下さったのだから、自分の足りなさを嘆く必要はない!」との神様からのメッセージが心に迫ってきて、信仰が奮い立たされました。

あれから14年経ちました。今も私は自分が足りてない者だと感じます。生きれば生きるほど自分の足りなさを痛感します。知恵の無さ、技術の無さ、リーダーシップの無さ、忍耐や愛の足りなさに泣きたくなります。そして、周りの牧師たちを見て「あの人のようだったら…。」とへこみます。

しかし、アサの祈りを読むたびに十字架の恵みに立ち返らされます。主は私の圧倒的な足りなさのために十字架に架かって下さいました。私が自分では決して義に届かないので、主はご自分の満点の義を私に下さいました。そして神の前に10点の者を100点満点の者にして下さったのです。そんな恵みを下さる主が今日も私と共におられます。この主の臨在を前にして私の足りなさが一体何の問題となりえましょう。

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