米国の歌手フランク・シナトラの「マイウェイ」は世界で最も多くカバーされた歌のひとつだ。そんな人に愛されている普及の名作をシナトラは「好きではなかった」という。死後、娘が明かしている▲歌詞は、死期が近づく男が人生を振り返り、自分の信じた道を歩んだことに間違いはなかったと述懐する。「身勝手だ」と考えていたようだ。後年は家族への罪の意識ももらしていたというから華やかな人生にも悔いはあったのだろう…」(2021/1/5毎日新聞朝刊「余録」より)
多くの映画にヤクザやマフィアが「マイウェイ」を好んで歌っているシーンがあります。朗々とマイウェイを歌うアウトサイダーたちの姿はまるで「これぞ俺の人生。生き方は間違ってない。」と自身に言い聞かせているようです。反対にその姿は彼らが内側に持つ「俺はこれで良かったのだろうか?」という一抹の不安をかき消そうとしているようにも感じます。
人は誰しもが常に自分の生きている道に確信があるわけではありません。確信したはずの道で間違うことを誰もが経験するし、これでいいのだろうかと迷い続けいるのが私たちの現実の姿なのです。また、本来人生は間違いながら学び、方向修正を加え、成長し、確かなものへと近づいていくものです。ですから軌道修正をせずに盲目的にマイウェイを信じて歩むのは愚かしいこととも言えます。
イエス様の宣教第一声は「マルコ1:15 時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」でした。ギリシア語で「悔い改め」とは「メタノイヤ:思いを変える」という意味を持っていますが、自分の人生観に対する「悔い改め:思いを変える」ことが救いのカギであり、御国という世界に足を踏み入れて行く必須条件です。
さらにイエス様はルカ福音書では「ルカ13:3 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」と語られています。つまり、人生の中で「悔い改め」という方向転換がなければいつしか人生は壊れ、滅びに向かっていく、ということです。
すでに福音を受け取った私たちが救われることに心配する必要はありませんが、自身の人生の歩みついては、祈りつつ「悔い改め:思いを変えて方向転換すること」を続けて行く必要があります。マイウェイを勝手に決めつけ進み続けるとシナトラのような人生の後悔に行きついてしまう危険があるのです。
大切なことは時々に立ち止まって聖霊の声を聴くことです。内側に住まわれる聖霊の声を聴くとき、私達はみ言葉によって自分の思いや願いが変えられていくことを経験していきます。そして、御霊によって刷新された心から開かれる人生こそ祝福であり、神と共に生きる「天の御国」なのです。
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