主の祈りシリーズ#13「イエスの心で祈る主の祈り 豊田信行著」に学ぶ マタイ6:私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
私たちの糧を祈る
「主の祈り」において、主語は「私」ではなく「私たち」です。これは祈りの始めから最後まで貫かれている姿勢です。
つまり、主はキリスト者の祈りを「私の祈り」としてではなく、「私たちの祈り」として祈ることの大切さを教えられているのです。
それは「日ごとの糧」を求める中においても変わりません。日ごとの糧を「私の糧」ではなく「私たちの糧」として祈るように主は教えられています。
すでにこのシリーズでも触れましたが、神の国は共同体として創造されています。
私たちは一人で生きているのではなく、共に生きる者として神様に創造されているのです。
ですので、「私の糧」があるだけではいけません。「私たちの糧」が満たされ、共同体として生かされて行くときに私たちは創造の形として輝き始めます。
与えることを学ぶために
また、「私たちの糧」を求めて祈ることは、与えることを学ぶことでもあります。
「私たちの日ごとの糧」を祈り求めることは、「寛大な人」になることでもあります。
「与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。詰め込んだり、揺すって入れ
たり、盛り上げたりして、気前良くって懐に入れてもらえます。あなたがたがるその秤
で、あなたがたもり返してもらえるからです。」(ルカ6:3)
イエスが、「私たちの日ごとの糧」を求めることを命じたのは、気前良く量り、惜しみなく 与える「寛大な人」になるためでもあります。 すべてのキリスト者は、惜しみなく与える「寛 大な人」になるように召されています。 なぜなら、神に似る者として造られた人は、神の寛大 を体現することが期待され、求められているからです。「私たちの日ごとの」を祈るとき 自らの心の量りが広げられ、惜しみなく与える寛大な人になることを願っているのです。p86‐87
私たちは「自分の糧」だけではなく、「誰かの糧」の為に祈っているでしょうか?
食前の祈りの長さとテーブルの広さ
あるクリスチャンホームにお邪魔したときのことです。食事の際にそのお宅の子供たちが声をそろえて食前の祈りを始めました。心を合わせながら耳を傾けていたのですが二つのことに驚きました。
1、食前の祈りがとても長かったことです。祈りがなかなか終わらないのです。
2、その祈りは「他の誰か」の為に祈っていることでした。「与えられた食べ物を感謝します。今日食べ物に困っている人々にも食べ物をお与え下さい。」からはじまり、その他にも沢山の誰かの癒しや必要が祈られていました。
好きなおかずの取り合いをしたり、「いただきます」をすっ飛ばしてゴハンに箸を伸ばしたりしてもおかしくない年の子供たちが、小さなテーブルで自分たちの糧だけではなく他の人の糧に心を向けていることに感動しました。
ごくごく普通の小さな家庭のテーブルでしたが、なんと広いテーブルかと思いました。
なぜなら、そのテーブルには家族だけではなく「他の誰か」をその食卓に招く心のスペースがあるからです。
もちろんその場にいないのですが、祈りを通して、知り合いの人や、会ったこともない貧国の人々までが、同じ主の恵みの糧に与るようにと願われ、覚えられる心のスペースが広々とあるのです。
それに比べて自分の食前の祈りの貧しさに恥ずかしくなりました。
私の食前の祈りは「イエス様のお名前によって感謝して頂きます。アーメン。」です。
なんと短いことか…。
当然です。なぜなら、この食前の祈りは私が長年かけて「出来るだけ早く食事にありつくことが出来る」ようにと必要最低限に言葉を削り落とした祈りの言葉なのです 笑。
他人を覚えるどころか、目の前の自分の食事にしか目が向けられている狭い狭い自分の為だけの祈りです。
食前の祈りの形式にシリアスになるわけではありませんが、まじめに分析してみると食前の祈りの言葉の長さには、他人のためのスペースの有無が見えるものだと思います。
私のように「自分の糧」にだけしか心がないなら、祈りの言葉は必要最低限です。「感謝と頂きます。」だけです。しかし、わずかでも「誰かの糧」を覚える心のスペースがあるなら、もう一言、誰かを覚えて祈る言葉が続くのではいでしょうか?
食前の祈りだけの話ではありません。私たちは祈るとき、自分の祈りを誰かために使っているでしょうか?祈りの時間を、祈りの言葉を、自分ではなく誰かの為に気前よく与えているでしょうか?
私たちは祈るとき、私の祈りの中に「私でない誰か」招き入れ、その人の為に祈りを与えることの出来る者でありたいと願います。
天にいます私たちの父よ。
御名が聖なるものとされますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行われるように、 地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
私たちの負い目をお赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
私たちを試みにあわせないで、 悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。
アーメン
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