主の祈りシリーズ#3「イエスの心で祈る主の祈り:豊田信行」に学ぶ
ことばが私の舌にのぼる前に なんと主よ あなたはそのすべてを知っておられます。詩編139
「異邦人の祈り」を見てきましたが、それとは異なる「キリスト者の祈り」とはどのような祈りでしょうか?「主の祈り」の内容に入っていく前に、キリスト者の祈りの概観を確認したいと思います。
何よりもまず、キリスト者の祈りの特徴は天と地を造られた父なる神様との人格的な交わりであり、交わりの中で親密な愛と信頼の関係を育んでいくものです。ですから、キリスト者にとって祈りは「願いを叶える手段」ではありません。そもそも、詩篇139編にあるように、神様は私たちが祈る前から「私たちの心」を知っておられる方です。
正確には「知っている」という言葉では足りません。神様は私たちの「心を知り尽くして」おられます。私たちがまだ自覚していないうめき、「ことばの手前の心」さえ神は知っておられ、聖霊はそれを私たちの代わりにとりなしさえして下さるのです。
同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。ローマ8:28
キリスト者の祈りは「私たちの心を知り尽くして神様」との交わりなのです。
ですので、祈りの中で最も重要なことは、私たちが語ること以上に、祈りの中で主の語りかけを聴くことです。そして、私たちの心と願いを知り尽くし、私たちのために命を投げ出すほどに愛して下さる方が、私たちの思いを超えた「最善」を願い、語りかけ、導いて下さるのです。それを神様との交わりの中で受け取っていくことがキリスト者の祈りです。
キリスト者の祈りとは、願ったものを手に入れるための手段ではなく、神が私たちに願って いてくださるものを受け取ることが とができるように、私たちの信仰を養い育てるものなのです。
イエスは、「あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、 そのとおりになります」(マルコ・24)と教えました。キリスト者の祈りには「受け取る信 仰」が必要になります。 「受け取る信仰」とは、神は必ず祈りに応えてくださると信じるだけ でなく、祈りの答えを神の最善として受け取ることです。P12
私たちは願いを叶えてもらう祈りの世界から離れて、主の最善を受け取っていく祈りの世界に導かれて行きたいと思います。
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