top of page

主の祈り#4 天にいます私たちの父よ1


マタイ6:9 ですから、あなたがたはこう祈りなさい。「天います私たちの父よ」

いよいよ主の祈りの本文に入っていきます。

主の祈りは「天にいます私たちの父よ」という呼びかけで始まりますが、祈りは「どこにおられる、どのような神に向かって祈るのか?」という私たちの神観によってその土台が造られていきます。

主の祈りにおいて何よりもまず注目すべきことは、イエス様が「天にいます」父に向かって呼びかけられていることです。

イエスが「私たちの父」だけではなく、「天にいます」と付け加えたのは、単に天国におられるとの場所示すためではありません。私たちの祈りが自己暗示とならないために不可欠なことは、「私たちの父」が「天にいます」、すべての権威の上、すべてのことを正す立場にあるという事実なのです。もし、父なる神が天にいなければ親身になって祈りに耳を傾ける安心感はあっても、それは気休めでしかありません。P19

私たちが呼びかける「父」は単に良い方なだけではありません。地の上の「天」におられる絶対権威者であり、最高権威者です。

父のおられる場所、つまり「神様の権威」に対して無理解な祈りは、祈りを単なる気休めとして捉えるようになります。

私たちは深刻な悩みがあるとき「誰に相談するのか?」によって問題解決への期待度が変わります。例えば、近所の優しいクリーニング屋のおじさんに悩みを相談することと、現役の内閣総理大臣に相談するのでは問題解決に対する期待度が違います。

前者は親身に話を聞いてくれますが権威がないので解決への期待はできません。せいぜい相談して「人生って難しいよね。みんな同じだよ~。何とかやってるんだよ。だから何とかなるよ!」と励ましてもらうことぐらいの期待度です。しかし、後者には絶対権威があるので相談相手も本気で解決を期待して相談します。(全国のクリーニング屋のおじさん、すいません。)

マルコ11:23‐24 この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

イエス様は祈りが持つ力に対して驚くほどの信仰を持っておられました。それはイエス様が父なる神がすべてのものに対する「絶対権威者:天におられる方」であることを知っておられたからです。

祈りは、私たちを励ましたり、慰めたりするためだけの「精神安定剤」ではありません。祈りは天におられる絶対権威者との交わりであり、この地上の物事に権威を持って影響を及ぼすことの出来る神様との会話です。

ですから、イエス様は祈りに対して常識を超えた期待度を持つように教えておられるのです。「祈りは山さえ動かす。祈り求めなさい。信じて受け取りなさい。」そのように祈りに期待するように言われるのです。

イエス様の教えておられる祈りは「私たちの欲しいままに何でも叶えられる」という祈りではなく、神様が下さる「最善」を受け取っていく祈りであることを前回に学びました。

その理解を土台にしつつも、私たちが父なる神を「天にいます父」として見上げて行くとき、祈りは気休めから、神様に対する大いなる期待へと変えられていきます。

私たちは父なる神をどのような方と信じて呼びかけているでしょうか?これは自分の祈りを見つめるとき最も大切な問いです。

私たちの「父なる神様」に対する理解度は、祈りに対する期待度と比例していきます。

父を知っておられたイエス様のように、祈りに期待する者でありたいと思います。

閲覧数:33回0件のコメント

最新記事

すべて表示

留言


bottom of page