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主の祈り#6 天にいます私たちの父よ3


マタイ6:9 ですから、あなたがたはこう祈りなさい。「天います私たちの父よ」

主の祈りの呼びかけは単に神様を「父よ」という呼びかけるのではなく、「私たちの父よ」という呼びかけで始まっています。イエス様は祈りを個人のものとしてではなく、共同体のものとして私たちに教えておられます。

「私の父」ではなく、「私たちの父」と呼びかけることの目的、意義とは何でしょうか。救いとは、イエスを信じ、罪赦され、天国に入れることだけではなく、「信仰の共同体」に属することを意味しています。 キリスト教が個人主義の影響を受けたことによって、本来「共同体」のものだった信仰が、「個人」のものとの誤解が生じました。「私たちの信仰」という複数形から、「私の信仰」という単数形になってしまいました。p30‐31

現代は個人主義の時代です。ひと昔前なら誰かと一緒に行くことが当たり前だった焼き肉屋などでも「おひとり様」を歓迎し受け入れる体制が整えられてます。個人的なスペースが大切にされ、個人での楽しみや価値観が他人に邪魔されないように配慮されます。

その流れは信仰にも大きな影響を及ぼしています。信仰は個人化が進み、信仰は「個人の心」の事柄としての認識が大部分に浸透しています。


コロナ禍においてもロックダウンを機に教会に離れる人が世界規模で続出しました。米大手のリサーチ会社がアメリカ国内のキリスト教信仰の現状を調査したところ、2020年には65%の人が「自分はクリスチャンである」と回答し、45%の人々は「自分は信仰を実践するクリスチャン(教会生活等を行っている信仰者)である」という回答をしました。

しかし、ロックダウンを経験した後の2022年には「信仰を実践するクリスチャン」の数は25%までに下がりました。


このデータだけをみると多く人が信仰を捨てたように見えますが、実態はもう少し複雑です。

同じ会社が詳細な別アンケートを取ると、信仰を実践しないと答えた人々が必ずしも「信仰」自体を捨てたのではなく、「個人的にはイエス様を信じながらも、教会に行くことはやめた」という人が増えたのだということがわかりました。

つまり、多く人はロックダウンを機に、「イエス様を信じる信仰を捨てた」のではなく、「主の教会に属する信仰を捨てた」ということです。

これらのデータは現代の信仰の捉えられ方を顕著に表しています。



「教会に行くのか行かないのかは自分で選べばいい。なぜなら大切なのは私がイエス様を信じていることだから…。」このような個人主義的な信仰観は聞こえは良いのですが、あきらかに時代の影響を受けて歪んでしまった信仰観です。


なぜなら聖書はそもそも信仰を個人的なものとして教えていないからです。


創世記には神様が造られた信仰の世界の原型が描かれていますが、最初に造られた人アダムは、助け手のエバが与えられるまで「個人的な神様との関係」の中に生きていましたが、あらゆる面で彼は満たされていませんでした。そして、自分には欠乏があること認め、助けが必要だと感じ、被造物の中にパートナーを探しました。

創世記2:20  人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。

このアダムの姿を見るとき、「私個人」が神様との良い関係を持っていたとしても、「私」という個人は完全には満たされないものなのだということが分かります。

そして、神様はご自分との関係を持ちながらも欠乏を覚えるアダムに、助け手であるエバを創造され彼に与えられました。

創2:18 また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」

アダムがエバと出会ったときに、彼ははじめてエデンの園で完全な充足を感じました。エバと夫婦という「信仰の共同体」となることで、神様が創造された世界を本当に楽しみ生きることできるようになったのです。


神様の創造の経緯に表さているように、神様は人を創造はじめから「共同体」として造られています。孤独に一人で信仰を生きるのではなく、神に与えられた人と共に祈り、信仰を支え合い、共に神様の前で行くとき、人は神様の目に「非常に良い」状態となるのです。私たちは神様にそのようにデザインされているのです。

祈りの領域も同じです。祈りが個人的なものではなく、共に祈り、共に父を見上げて行く共同体として形を取り戻していくとき、祈りは本来神様が意図した形となり、さらに力と輝きを増していきます。

主は時には一人で祈ることも大切されましたが、最も重要なゲッセマネの祈りの時には「ともに祈って下さい。」と弟子たちに祈りを要請しました。イエス様の教えておられる祈りの世界は、決して個人主義的な孤独な世界ではありません。「私たちの父よ」と共に神様を見上げて行く信仰共同体の世界なのです。

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