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信仰によって追い求める


ローマ9:31-32

9:31しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。

9:32なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。

モーセは40歳になった時、奴隷に苦しむ同胞のイスラエルを解放したいと願った。その願い自体は神から来たものであり正しい願いだったが、彼はその願いを自分の能力と努力によって達成しようとした。結果、彼は働きを始めてまもなく激情にかられエジプト人を殺害してしまったのだ(出エジプト2:11-12)。そして同胞の開放どころか自分が逃亡者となりエジプトを追われてしまった。若き日のモーセは願いは正しくても方法が間違っていた。つまり願いの追い求め方を間違ったのだ。

これは信仰生活で誰もが体験することだ。良い父になりたい。良い夫になりたい。良いキリスト者になりたい、良い牧師になりたい…。私たちは神様にある良いこと正しいことを追い求めるが、それを自身の能力と努力によって手に入れようとする。また、手に入らなかったら自分の行いが悪かった、努力が足りなかったと嘆く。しかし、その考え自体が間違っている。大切なのは良いものを得るために絶え間ない努力をすることではなく、「私の願う良いものは神様が与えて下さるのだ」信じることだ。信仰によって追い求めるのだ。もっと丁寧に言えば、信仰という土台の上に「行い」という実際の行動が営まれることが大切なのだ。

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