Ⅰ歴代誌28:10‐20 今、心に留めなさい。主は聖所となる宮を建てさせるため、あなたを選ばれた。勇気を出して実行しなさい。……強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにおられるのだから──。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕のすべての仕事を完成させてくださる。
ダビデは晩年、主の神殿を建てる事業を後継者ソロモンに引き続く。28章の中でダビデは自分が神殿のために綿密に準備したあらゆることをソロモンに引き継ぎ託していく。ダビデの言葉の中には主の宮を建てるということがいかに大事業であったかが伺える。建設という意味だけで考えるなら、皇居や国会議事堂を新築するという規模だろう。簡単な事業ではない。大変なことなのだ。だからこそ、具体的な引継ぎと共にダビデはソロモンに「勇気を出しなさい。強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。」と何度も語り掛けていく。主の宮を建てるということは素晴らしい事業であるとともに、数々の困難が伴う大事業なので「勇気」がいるのだ。
新約時代になると神殿は建物ではなく聖霊が住まわれる私たち自身を指すようになる。 「Ⅰコリント3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」
そして、神様の宮を建てるということは、私たちがキリスト者として成長していくことであり、キリストの似姿に造り変えられていくことなのだが、それはソロモンの神殿建設と同様に大事業なのだ。
私達はダイエットのために食生活を変えようとするだけで悲鳴をあげ簡単に挫折する。ましてや人生そのものの方向を変えて、主にある新しい生き方をしようとするが簡単なことであるないはずがない。
慣れ親しんだ罪の習慣から離れること、どんな時も祈ること、み言葉に従うこと、什一献金をはじめ自分の所有物を主に委ねていくこと‥など、それらのことは「あなたはイエス様を信じたのだからやりなさい。」と言われても実際はなかなか難しい。
洗礼後、信仰生活を始めることを躊躇する人達が大勢いるがその気持ちは大いに分かる。また、取り組み始めたけれど「やっぱり私には無理。」と途中で神殿の工事が頓挫している信仰者も多いだろう。それは当然のことなのだ。そもそも、主の宮を建てあげることはことは、私たちが挫折したり、投げ出したりしてしまいたくなるほどの大事業だからだ。
だからこそ私達は信仰生活を建てあげようとするとき、ダビデが語りかける言葉をもう一度思い起こさないといけないと思う。「神である主、私の神が、あなたとともにおられるのだから──。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕のすべての仕事を完成させてくださる。」だから、「勇気を出して実行しなさい。」そう語られるみ言葉とともに、勇気を持って取り組んでいく必要がある。
また、大事業を前にして震える我が子ソロモンにダビデが語ったように、私達も宮を建て上げることに躊躇する人たちに「主が成し遂げて下さる!勇気を出して!」と同じように励ます者でありたい。
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