愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。Ⅰヨハネ4:7
私の家では土曜日に家族で出かけることが多いのですが、子供たちがまだ小さいため出かけると必ず何らかのトラブルが起きます。車の中の席の取り合いから始まり、公園で転んで泣いたりと、何かとワーワー言いながら休日を過ごします。問題の起こらない日は殆どありません。どの家庭も似たような経験をされていると思いますが、正直、楽しいですが大変です。
私たちは生きていると日々問題にぶつかります。家庭でも、会社でも、教会でも、誰かと何かをしようとするとなかなか計画通りに行かず、小さな問題が必ず発生します。そして、何かしらの問題が起こり続けると私たちは「問題が起きること自体」に嫌気がさすときがあります。
「いつも何かをするたびに問題ばかりで、私の家族は、会社は、教会は、何か間違っているのではないだろうか?」そのような思いに囚われていきます。
しかし、基本的に私たちが誰かと一緒に何かをしようとするとき、問題は必ず起こるものなのです。問題が起こることは大変なことですが、それは根本的にはネガティブなことではありません。
トーザーは問題が起こることについてこう語ります。「“問題”は成長の代価であること。摩擦は動作に付随すること。生き生きして、発展しつつある教会は、そのいのちと活動の結果として、ある一定の困難を持つこと。A・Wトーザー/日々、聖霊に満たされて」
トーザーの語る通り「問題は成長の代価」です。つまり、成長に向かう共同体はいのち持って実際に動いているので、その過程で互いにぶつかったり、すれ違ったりと、関係に摩擦が起き、様々な問題が起こるものなのです。日々起きる問題は成長痛でもあるということです。
反対に全く問題の起きない共同体は、いのちを持って動いていないということでもあるということです。一緒にいるのに、何も一緒にしないので成長痛も起きないのです。それは悲しいことであり、共同体にとっては致命的な問題です。
一緒に前進している家族、そして成長している教会は日々問題が起きるのです。大変ですが、それでいいのです。絶え間なく起きる小さな問題、それを生き生きとしたいのちとして見ていくことが大切です。
さらにトーザーは日々問題が起こるときの最善の対処についても語ります。
「では、私たちはどのように問題に対処したらよいのだろうか。…おびただしい量の愛(世界で最善の潤滑油)を注ぐこと。愛は摩擦を最低限に減らし、からだ全体が滑らかに、そして部分部分を傷つけることなく働かせ続けることが出来る。この愛は何処か来るのだろうか?神の愛は聖霊から私たちの心の中に溢れ出るのである。A・Wトーザー」
私たちは誰かと一緒に行動を起こすと、個性も、能力も、考え方も違うので、繋がりの部分に摩擦が生じますが、そこに愛を注ぐのです。互いを愛し、尊び、大切する、そのような愛が潤滑油となり、軋む音を上げていた繋がりがスムーズに動くことが出来るのです。
「コロサイ3:14 愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」とあるように、成長に向かって日々前進し、問題にぶつかる共同体を結び付けていくのは愛なのです。
問題という成長痛を喜び、互いを愛し合うことを大切にしたいと思います。
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