マタイ13:31-32 天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。
19世紀、アメリカ・ノースフィールドのある小さな教会にCS教師のエズラ・キンブルという人がいました。
ある日、教会へ向かう途中で道に座り込んでいる少年が彼の目に入りました。この少年は早く父親を亡くし貧民街に住んでいました。貧しくて学校にも通えず、することもなくブラブラと1日を過ごす毎日を過ごしていました。
この時、どういうわけかこの少年に心の留まったキンブルは「教会へ一緒に行くかい?」と声をかけました。実は彼は長年教会に通っていましたが一度も人を誘ったことがありませんでした。しかし、このとき何気ない思い付きで声をかけたのです。
少年はキンブルに誘われるまま教会について行きました。結局、少年は教会に通うようになりイエス様を信じ、17歳で伝道者になりました。
この少年の名はドワイト・ムーディーです。彼は19世紀にアメリカで最も影響を与えた大伝道者です。ムーディーは神学教育はおろか、学校教育さえも受けていませんでしたが、彼が説教を語る礼拝には何千人の人々が訪れ、何時間も待たないと礼拝堂に入れないほどでした。
貧民街での伝道、後に世界的名門となるムーディー聖書学校(神学校)の設立、20世紀のプロテスタント教会と伝道者たちに与えた影響は計り知れません。明治期に日本に入ってきた宣教師たちもムーディーの影響を色濃く受けている人々です。
ムーディーを通して世界大の神様の業がなされ、多くの人が彼の働きをとして神の恵みに与りました。
ムーディーの信仰の始まりは、一度も伝道したことないCS教師の何気ない子供への声かけです。宣教と呼ぶには申し訳ないような、貧しい子供への小さな、小さな声かけでした。
しかし、そこから神様の御業が始まり、御国が世界大へと広げられました。イエス様が語られているように、御国の始まりはからし種のような小さなことから始まります。
吹けば飛んでいてしまうような存在や、小さな出来事を通して、神様は驚くべき御業を始められます。ですから私たちは小さなことを侮ってはいけません。
小さな伝道、小さな祈り、小さな奉仕、小さな親切。からし種のような小さな信仰の場面から偉大な御国が広げられていきます。
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