マルコ8:25 それから、イエスはもう一度彼の両眼に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。
世界で最も愛されている賛美「アメージンググレイス」を作詞したジョン・ニュートンは元奴隷船の船長で、若い時から奴隷貿易を生業としていました。しかし、22歳のときに暴風によって乗っていた船が難破しかけます。死が迫る中、彼が神様に祈ると奇跡的に助かり九死に一生を得ました。このときニュートンは、神は奴隷商人という罪人をも憐み助けて下さるという「驚くばかりの恵み」を体験します。これをきっかけに回心した彼は後に牧師となり、晩年は奴隷貿易廃止運動の助言役としても活躍しました。
ニュートンの回心物語はとても有名なのですが、彼の物語が語られるとき、多くの場合とても大事な部分が削られて語られます。それは彼が回心後、8年間も奴隷船に乗り続け、その間に船長にまで登りつめたということです。奇跡的な回心劇の陰に隠され、あまり語られない彼のこの八年間はとても重要です。彼の回心が本物でなかったと言いたいのではありません。注目したいのは、彼が劇的な神と出会いを経験し奴隷貿易を神の前に罪と認めながらも、その仕事から抜け出せなかったということです。つまり、彼の回心後の人生の変革は、少なくとも8年以上の時間をかけてなされていったのです。ここには私達の多く人が経験する信仰人生の現実があります。フィクションや誇張ではない、現実の信仰の歩みです。
私達は神様がして下さる人生の癒しや回復がすぐになされるようにと期待します。そして、神様が約束された変革や回復の兆しが見えないと、何か自分達側に問題があると思ったり、主は癒して下さらないのでは?と不安に駆られます。しかし、御業はいつもスピーディーになされるわけではないのです。
マルコ8章に登場するベツサイダ村の盲人の男は、イエス様に目を癒して頂きましたが、彼になされた癒しは瞬間的なものではありませんでした。主は彼の目に二度に分けて触れられます。彼の目もそれに比例して段階的に見えるようになります。
この男になされた主の癒しは、私たちに癒しにはゆっくりとなされるものがあるということを教えてくれます。この癒しの事実は大きな慰めです。夜が夜明けのグラデーションを通って朝に変わるように、人生という時を彩りながらなされる癒しがあります。それは神にしか描き出せない美しい御業です。あなたの人生を神色に彩る大きな祝福です。御業を楽しみながらゆっくりと歩みましょう。
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