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恵みを生きるシリーズ#9 約束の地へ導かれる


創世記31:3 主はヤコブに仰せられた。「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。」


前回は、ヤコブがラバンの下から開放されて故郷に帰っていく姿をみました。今回からは「ヤコブの故郷への帰還」の全体を見て行きたいと思います。



主の帰還命令

ラバンの下で働くヤコブにある日、「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。」との主の声が響きました。


聖書があまりにもサラッと書いているので、私たちはこの出来事の重大さを見過ごしそうになりますが、主が荒野でヤコブに対して「祝福の約束」をされてからこの時すでに20年以上がたっています。その間にヤコブはラバンの下で結婚し、二人の妻を持ち、11人の子を授かりました。また、伯父ラバンとの問題、妻たちの抱える問題、多く苦しい経験を通ってきました。


この長い期間、ヤコブは主の約束をどのように待ち望んだのでしょうか?当然、「強く疑うことなく信じ続けた…」のではないと思います。祖父アブラハムが「主の約束」を待つ中で何度も疑問を抱いたように、ヤコブも約束に対する失望と疑問が何度も押し寄せたのではないかと考えられます。もっと言えば、つらい時には「あなたの約束はどこにあるのですか?今すぐに祝福の約束を果たして下さい!」と祈ったこともあったのではないかと想像できます。


それでも、主は「ご自身の約束を果たす時、タイミング」を貫いて行かれました。

ヤコブの人生から主の約束について二つの原則を学べます。



1、 主の約束は、「主の時」に果たされていく。

約束が果たされるベストタイミングは、私たちの願うときではなく、主のタイミングです。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」とみことばにある通りに、主のなされるタイミグは最も美しく理にかなっているのです。


昔、ちょっと高級なラーメンセットを頂いたとき、付属の調理説明に書かれているベストの茹で時間を無視し、自分がインスタントラーメンと作るときの感覚で茹でて大失敗したことがありました。


その失敗を通して学んだことは、私がラーメンを完成した形で味わうために必要なことは、そのラーメンを作った人の調理指示に従う必要があるということでした。



料理人が素材を調理するすべてのタイミングを熟知しているように、神様は創造主であり、私たちの人生を知り尽くし、祝福の中へ導くタイミングを熟知しておられます。祝福をちゃんと受け取るのには、何よりも主のタイミグに従うことが最も重要なのです。


しかし、私たちは愚かにも「主の約束に対する最善の時」を自分の感覚で測りがちです。「主よ。いまこそ私を助けるタイミングですよ!今こそ私を祝福で満たすタイミングですよ!」言葉こそ違えど、祈りの中でそのようなことを訴えがちです。


しかし、そもそも私たちは「主の約束の中身」を熟知しているでしょうか?主の約束がどんな益を私達に漏らさそうとしているのか?どんな人生を完成させようとしてられるか?それ知らないで神様に祝福の時を訴えがちです。


そして、もし神様の祝福のタイミングを私達が決めしまえるなら、私たちの人生は「茹で時間の間違った固い麺、あるいは伸びきった麺」のように、本来意図された祝福を受け取っていけないでしょう。


どれほど待たされたとしても、「神の時」こそが祝福を受け取るベストの時なのです。




2、約束は必ず果たされる

主の約束の最も素晴らしいことは、「主の約束は必ず果たされる」ということです。


イザヤ 55:11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。


聖書の預言(神の約束)は、歴史の中で外れたことがありません。時にはその成就に約束がなされそれが現実のものとなるのに何百年、何千年とかかっていますが、その預言は次々に成就しています。


近代において最も大きな聖書預言の成就は、AD70年に滅んだイスラエルという国家が、約2000年の時を経て神様の約束通りに現実に復活したことです。


エレミヤ30:3「見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、わたしの民イスラエルとユダの繁栄を元どおりにすると、【主】は言う。わたしは彼らをその先祖たちに与えた地に帰らせる。彼らはそれを所有する。」



神の約束は必ず果たされていきます。それは歴史に証しされ続けている確かなことです。

また、国家的、民族的、共同体的な祝福の約束は何千年、何百年とかかる場合がありますが、主がキリストを信じる私たち一人一人にして下さっている祝福の約束は、必ず私たちの人生の間に果たされていきます。


私達とって重要なことは、神の約束の中を生きるか、それとも無関心に生きるかです。

約束に心を留めている人は、約束が果たられるときの為に準備をしますが、無関心な人は約束などほったらかしで生きます。


ヤコブへの導きがそうであったように、長く待たされるときは、訓練期であり、祝福を受け取るための準備期間です。ですので、待たされているときも祝福を受けている期間だともいえるのです。


ヤコブには祝福を待つ長い期間がありましたが、彼は祝福の約束を覚えていました。もちろん、疑ったり、失望したときもあったと想像できます。しかし、約束を捨ててしまうことはありませんでした。「約束の地へ帰れ!」と主の言葉が下ったとき、彼はすぐに行動に出ることが出来ました。


「約束は果たされる。」それを信じて待つ者でありたいと願います。


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