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恵みを生きるシリーズ#2 ヤコブのコスプレ


創世記27:15‐16 それからリベカは、家の中で自分の手もとにあった、上の息子エサウの衣を取って来て、それを下の息子ヤコブに着せ、また、子やぎの毛皮を、彼の両腕と、首の滑らかなところに巻き付けた。



祝福を求めるヤコブ

ヤコブを一言で言い表すなら神様の祝福を求めた人と言えます。


彼は目の前にある分かりやすい喜びや快楽を愛する双子の兄エサウとは違い、祖父アブラハムと父イサクから話を神様の祝福の素晴らしさをよく聞いていたのだと思いますが、彼は祝福を受け継ぐことを熱心に求めていました。


しかし、残念なことにヤコブの家では生まれた時から神様の祝福は長子の権利と共に長男のエサウが受け継ぐこととなっていました。また、祝福を受け渡す父イサクも野性的で力強いエサウの人格を好み、エサウこそ祝福を受け継ぐ子だと思っていました。


そのような状況の中でヤコブは祝福を自分のものにしようと母リベカと共謀し、動物の毛皮を纏い毛深いエサウになりすまし、年老いた父イサクを騙して祝福の祈りをしてもらいました。


祝福を求めるヤコブは努力の末にどうなったのか?


父と兄を騙して祝福の祈りを奪い取ったことによって兄にいのちを狙われ、財産を捨てて杖一本で荒野に逃れて行く羽目になりました。



ヤコブのコスプレ

木村竜太師は、若い伝道者時代を東京にある有名な外国のメガチャーチ系列の教会で仕えた経験をお持ちです。


木村師は教会が数的な成功を治め、自分の働きも祝福の絶頂の中にあると思っていた矢先に、教会の主任牧師からの一方的な関係悪化を告げられ、最終的には教会を追い出されてしまいました。


そのような状況の中で教会に怒りを覚えるのと同時に、自分自身の持つ承認欲求の闇にも気づかされていったそうです。努力と奉仕の度合いで評価される不健全な教会のシステムの中で、聖書的な価値観ではなく、上司や教会に認められることをアイディンティティの土台としている自分の姿に気づかされたとのことでした。


そのころ、ヤコブに関する一つのメッセージを聞く中で木村師はこう思ったそうです。


ヤコブの物語は、双子の兄エサウの長子の特権と祝福を得るために他の人になりすますという、自分の人生を破壊していくような始まり方です。私はそのような行動を『コスプレ』だと思いました。あこがれからなりたいキャラになることで、あたかもその人のようになっている気分や力、ある意味『特権』という祝福を得るのです。そのことに気づいたとき、これはまさしく自分だと感じました。(舟の右側 2023年5月号 失敗からの再出発より)



木村師がヤコブに自分を見出しておられるように、若い頃のヤコブの姿にはまさに未熟な信仰者の姿がそのまま描かれているように思います。


ヤコブは神様の祝福を得るために父イサクが好む兄エサウのようになろうとしました。自分という立場、キャラクターでは祝福を受けられないと判断し、父に祝福の器と評価され愛されている兄の姿を装って祝福を受けようとしたのです。


私たちは「立派なあの人みたい」になることが祝福を受ける道のように感じますが、似合わない他人の姿を着込み、祝福を得ようとするアプローチは、返って自分の人生を破壊していきます。




恵みの入り口

ヤコブはこの後の人生で長い旅をします。荒野の孤独を経験し、叔父の俗悪さに悩まされ、夫婦関係の問題を生きる中で、神様の恵みによって導かれ、磨かれ、「イスラエル:神の王子」と呼ばれる祝福された器へと変えられていきます。


恵みについて学ぶ旅は長いと言えます。しかし、ヤコブの人生を見る時に確かなことは、その恵みを受け取る旅へ入り口はまず「誰かのようになること」を止めていくことから始まっているということです。


神様は「○○のような人」を祝福したいのではなく、十字架に架かって身代わりなるほどに愛しておられる「あなた」を祝福したいのです。そして、神様が一方的にそのように私たち一人ひとりを愛してくださっていることこそが、すでに「恵み」なのです。


イザヤ43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。


この恵みを生きるためには、まず「誰かのようになる」という発想をやめなければなりません。神の愛の眼差しが「自分」という存在に注がれていることを知り、その愛を受け取る姿勢を学ぶことから恵みの歩みは始まるのです。

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