Ⅰ歴代誌4:10 ヤベツはイスラエルの神に呼び求めて言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。」
成長には「新しい領域」が不可欠です。例えば幼稚園と小学校の施設の大きさと質が違うのは、子供の成長に合わせて施設が造られているからです。大きくなった体と知能を十分に働かすには幼稚園ではダメなのです。同じように中学校・高校・大学・会社、私たちは成長に見合った領域を必要とします。
信仰の歩みも同じです。信仰も成長に応じて新しい領域を必要とします。誰でもイエス様に出会った初めのころは、教えてもらい、祈ってもらい、励ましてもらうのですが、次第に奉仕や宣教の働き、とりなし祈るといった新しい領域へのチャンレジが生まれてきます。それは信仰の成長に必要な領域です。
ある人々は信仰生活の変化を喜ばず現状に留まろうとしますが、成長による広がりを拒むと人生は歪みます。
昔、中国には纏足(てんそく)という悪習がありました。足の小さな女性は美しいという歪な女性観に基づいて、幼いうちから女の子の足を布で固めて成長をわざとさせなくさせるものです。長年、纏足を続けると小さな足の大人の女性が出来上がります。ですが、彼女たちはそのころには自分で殆ど歩けなくなっています。
纏足とは「小さな足を手に入れるという歪められた価値観と目的の為に、自由に世界を歩くという人としての大切な機能が失われた状態」です。また、無理に成長を拒んだ足は靴と布を脱ぐと、その姿はとても美しいと呼べる状態ではありません。足の骨が全体が歪んで変形し痛々しいものです。
本来の成長するはずのものを歪な価値観で拒んだ結果は悲惨です。広がることを拒むと失うものは大きいのです。
本来、神様に大きく成長するように創造された「足」の成長に合わせて、靴を広げていくときに、地を行き巡り、高い山をも踏破する美しく強靭な足が人に備わるように、成長にはそれに合わせた新しい領域が必要なのです。
信仰の人ヤベツは、神様に祝福を求めて祈りましたが、彼は自分の地境を広げてくれるように祈りました。それは自分の人生に新しい領域を積極的に求めた祈りとも言えます。結果として彼の人生は驚くほど豊かなものとなりました。
信仰の成長と共に、その信仰を生きる新しい領域を求めて行きましょう。
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