イザヤ62:2 あなたは、主の口が名づける新しい名で呼ばれよう。
ベストセラーになった自伝「Itと呼ばれた少年」を書いたデイヴ・ペルザーは少年期に母親から虐待を受けて育ちました。彼が母親から受けた虐待は暴力や育児放棄だけではなく、洗剤を混ぜ合わせて発生させた有毒ガスが充満するバスルームに閉じ込められたり、ガスレンジで腕を焼かれたりなど、どれも常軌を逸したものでした。
その中でも彼を最も長く深く苦しめた虐待は、母親にit(それ・あれ)と呼ばれ、物のように扱われたことでした。彼は母親から救い出された後も十数年間「it」と呼ばれたことによって「自分は価値のない人間で生きる資格のない者」という思いに縛られて苦しみ続けました。
名前とは単に人を識別するものではありません。名前とは最も身近な自己認識ツールの一つです。人は呼ばれる名前によって自分がどんな者かを認識します。良い名で呼ばれると自分を良い者と認識し、悪い名で呼ばれると悪い者と認識します。
誰もが親に貰った素晴らしい名前だけで呼ばれるのなら問題はありませんが、時として私達は自分の弱さや失敗を取り上げられて醜いあだ名をつけられたり、自分自身につけたりします。不細工・ダメな奴・愚か者・馬鹿・使えない奴…こうした呼び名で呼ばれ続けると人は自分をそのような者であると認識し、その名前の影響を受けて行きます。
デイヴのような恐ろしい虐待を受ける人は稀ですが、彼のように心無い呼び名で呼ばれ自分の価値を見失って苦しんでいる人は多いのではないでしょうか?
名前は人生を左右するほどの大きな影響力を持っています。ですから、決して自分や人を汚れた名前で呼んではなりません。確かに私達は弱さや罪性を抱えて生きる者です。時としてその姿は醜く汚い呼び名で呼ばれて当然のような者であったりします。しかし、私達には子のないアブラムをアブラハム(全国民の父)と呼ばれ、ヤコブ(押しのける者)をイスラエル(神の王子)と呼んで下さる神が共におられます。無い者を在る者のように呼ばれる神は、私達を復活されたキリストと一つにすることによって新しい者へと造り変えて下さいました。
神が聖書の御言葉をと通して呼んで下さる私達の新しい呼び名はこうです。「我が子・神の友・高価で尊い者・尋ね求めた者・愛する者・勇士・聖い者・祝福の基。」これらの新しい名こそ私達の本質であり、私達が呼ばれるべき名です。
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