Ⅱコリント3:16、18 「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。・・・私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。」
夜空に輝く月は昔から人々の心を魅了してきました。暗闇の中に静かに輝く黄金の光は何度見上げても飽きることなく、心を奪われてしまいます。個人的には月を拡大した写真や映像を見るのが好きです。
月の表面にある凸凹のクレーターが太陽の光を受けて美しく彩られている姿をみると、岩と砂しかない星がどうしてあのような魅力を持つのかと考えてしまいます。地球のように命に溢れているわけでもなく、土星のように美しい輪や、木星のような独特の木目模様を有しているわけでもありません。しかし、不思議な事にその輝きには心に触れるものがあります。
そんなことを考えるうちに二つの月の特徴が思い浮んできました。
一つは月の性質です。月の性質は鏡です。月はすべてが灰色という白に近い岩砂のため、どの星より光を反射する性質を持っています。月は前にあるものを鏡のように反映させます。光の前にあれば反射して輝き、暗闇の前なら色を持たないので闇と同化して自身を現します。
人も月と同じです。私たちは自分が向き合っているモノを映す鏡ようです。音楽に向き合っている人は音を奏でるように、何に向き合っているかがその人の日々の性質と輝きを左右します。
私たちにとって最も美しい光はイエス様です。この世のどんなものもの主の光の美しさに勝るものはありません。パウロが語るように私たちの心が主に向くならば、私たちの日々の歩みも主の輝きを帯び、そして反映していきます。
もう一つの月の特徴は、太陽の光以外は何も持っていないということです。
月は他の星のようなユニークな特徴を持っていません。生命や水はもちろんのこと、大気やガスによる美しい模様もない、いわば貧しい星です。しかし、その貧しさは太陽の光を純粋に反映させます。大気やガスなどによって色づけられた光ではなく、太陽の光の色そのものを輝かせます。
私たちは自分が月のように貧しいので悩む時があります。しかし、主は「心の貧しいものは幸いです。」と言われ、パウロも「キリストの力が覆うために大いに私の弱さを誇る。」と語りました。みことばの語る通り貧しいことは幸いな事です。貧しさが私たちの反映させる光の質を決めます。
滑稽な自分色で輝くより、栄光の主の色で輝きたくないでしょうか?
月が太陽の光の中で輝くように、主の栄光を鏡のように反映しながら歩みましょう。
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