箴言27:17 鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。
私の父には若い時からの仲の良い友達がいます。今でも時間が出来れば滋賀の方から遊びに来られます。
父と友人の関係にはひとつ面白い点があります。それは二人には10歳以上の年齢の差があることです。(父が年上です。)歳が一回り違ってもまるで同級生のようなノリで会話しています。二人を見ていると年齢を越えても深い友情を育むことは可能なのだと教えられます。
さて、聖書は「人はその友によってとがれる」と教えます。友情とは人格を磨き、人の内側を育ててくれるものという意味ですが、人の内側を磨く関係を友情と断言していることに驚きます。
私たちは他者と様々な関係を持ちます。親子、恋人、夫婦、兄弟、師弟、どれも大切な関係であり、多大な影響をもたらす関係です。しかし、人の内側を磨くのは友情関係なのです。正確に言うならば全ての関係の中に友情が育まれるとき、人の内側は磨かれ深められるということです。
旧約聖書において偉大な信仰の代表者はアブラハムとモーセです。二人はまさに神の人であり、その信仰・ことば・内的性質には聖書を読むたびに教えられ感動します。
なぜ彼らがそのような人物になり得たのか?その理由は神を信じたことに尽きるのですが、彼らが神様と育んだ信仰関係の質は興味深いことに友情なのです。
アブラハムは神の友と呼ばれ、神様はモーセと友と語るように語り合ったと聖書は神様と彼らの関係を記しています。つまり、信仰という神様との関係の中においても友情を育んだゆえに、彼らの内側は驚くほど磨かれたのです。
新約時代になると神の子イエス様は、弟子たちを集め教え訓練されました。イエス様と彼らの関係は明らかに師弟関係でした。しかし、イエス様は弟子たちに「わたしはあなたがたを友と呼びました。ヨハネ14:15」と言われる方でした。イエス様は弟子たちと友情を結んでくださる方でした。
師弟でありながら、ともに旅の苦しみを分かち合い、喜びを分け合い、心の内を語り合う、そのように毎日をともに過ごす中で友情関係を弟子たちと育んで下さいました。イエス様に友と呼ばれた弟子たちは、後に使徒となるほどその内側が磨かれました。
神様と友情を育むことは可能ですし、神様ご自身が私たちとの友情を願われています。神との友情は大それた考えでもなく、私たちが育むべき信仰です。私たちの人格は神との友情の中で成長し磨かれます。
「神との友情」は、神様と人生を分かち合う時に生まれます。日々、神様と共に同じ瞬間を生き、泣き笑いを共にし、毎日を共有することよって友情が育まれていきます。
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