神との友情2
- kncc432807
- 2023年4月28日
- 読了時間: 3分

ヤコブ4:8神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。
聖書に記された信仰の先人たちは、神様との友情という信仰関係を築きました。信仰において神様との友情はとても大切な性質です。友情は人生を共有する中で生まれますが、良い友情は互いに近づき合うときにも生まれるものです。
約二千年の教会史の中では「天使・聖人信仰」が流行る時代がしばしば見られます。そういう信仰が流行る時代の特徴は、共通して「神様との個人的な信仰の距離」が開いている時代です。神様と人の個人的な距離が開くと、その間をとりなし埋めるような霊的な存在が信仰の対象として現れてきます。
例えば、宗教改革前のカトリック教会において聖書は「司祭」等の決められた人しか直接読むことが許されていませんでした。その理由は人々の識字率の低さなども関係していますが、根本的には個人で聖書を読み、勝手な解釈をして異端が生まれることへの対策でした。つまり「ちゃんと解釈できる教会にだけ聖書を読む権利を許し、教会を通して人々に正しい聖書のことばを届けよう。」ということです。
しかし、皮肉なことにこのような時代に聖人信仰は大いに隆盛を誇りました。みことばと人が離されることによって神様と個人の距離が開いたからです。
神様と私達の個人的な距離が離れると神様と私達の関係は歪んでいきます。別の存在に頼らないと神様とコンタクト取れないとまで思い込むようになるのです。
聖書は私たちに「神様に近づきなさい」と勧めます。イエス様が下さった恵みは、私たち一人一人が神様の前に個人的に出てゆき親しく交わる恵みです。
私達は神様に直接近づくことを禁じられているのではなく、望まれているのです。神様は私達一人一人と個人的な関係を持ち、親しい友情を築きたいと願う方なのです。
私たちはこのみことばをそのまま実行したいと思います。私たちはどのように神様に近づくことが出来るでしょうか?
一つは神の心である聖書に近づくことです。私達はみことばを読むことを通して神様の心に近づくことが出来ます。
そう聞くと「私はディボーションが苦手なんです。」または、「みことばを読む時間がない、聖書は難しい。」という声は世界中のどの教会からも上がるものです。確かに忙しさや、難しさで聖書を続けて読むことには一定の大変さがあることは事実です。
しかし、私達が信仰者として知っておかなかればならないことは、日々みことばを読む、聴く、学ぶということは信仰生活の「選択可能なオプション」ではないということです。
みことばはパンであると聖書で語られているように、私達が信仰を生きる上では必要不可欠な要素なのです。
パンを食べなければ健康な体・いのちを維持できないように、みことばのパンを食べなければ神様との良い関係や、新しくされたキリスト者としての人生を維持することはできません。
みことばと個人の距離が離れるなら、それだけ信仰生活にはマイナスになる事は教会史が証明しています。
日々みことばを読むということは、神様に日々近づくということであり、神様との友情を育むことであり、その親しい関係からいのちを得るということです。
また神様に近づくもう一つの道は祈りです。祈りは直接の語り合いであり親しい交わりです。祈りは神様と私達の距離を縮めます。
弟子たちは、イエス様からみ言葉を学ぶだけではなく、イエス様と親しく語り合いました。
みことばのこと、生活のこと、ささいなこと、語り合う中で彼らはイエス様との友情を築き、信仰が磨かれていきました。
私達も神様との語り合いである「祈り」を通して、私たちは神との友情を深めていくのです。
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