マタイ13:44 天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。
イエス様が語られた「天の御国(神の国)のたとえ話」は、パン、パン種、種、畑、農夫、農園、などの身近な日常に関するものがとても多いです。
そして、それらことから神の国のたとえ話が意味する一つの大切なメッセージは、神の御国(神様の支配や臨在、そして聖霊なる神様の豊かな働き)は遠くにあるのでなく、日常の身近な場所に存在しており、見出すことの出来るものであるということです。バーバラ・B・テイラーはたとえ話についてこう語っています。
もしも天の事柄について語りたいなら、地上のことから始めたらよい、…主イエスはそう語っておられるかのようです。たとえば、男、女、畑、種、鳥、空、パン種、パンという言葉から。たとえば、真珠、網、湖、魚、喜びという言葉から。天の国はこのようなものであり、そして、天の国とはその中で見つかるのです。これらこそ天の国を掘り当てる場所、神の御心とご支配、ご臨在を探し出す場所です。
もしも、ここで見つからないなら、どこへ行っても見つけられないでしょう。なぜなら、地上は天の国の種が蒔かれている場所であるからです。 バーバラ・B・テイラー/天国の種より
イエス様は「天の御国は畑のなかに隠された宝のようなもの」と語られていますが、畑とは当時の人たちにとってとても身近なものであり、「最もお宝が埋まっていなさそうな場所」の代表です。しかし、その「まさか自分の家の小さな畑に…」と思うような場所にこそ神の国は埋まっているのです。
ですので、神の国を開くカギは、宝など埋まってないように感じる変哲のない日常の風景を、神様が隠された宝が埋まっている場所として信仰を持って見つめなおすことなのです。
「台所の祈り」と呼ばれ、親しまれている祈りの言葉があります。
主よ、私の小さな台所を祝福してください。お料理をするときも、お皿を洗っているときも、私の心をいつも喜びで満たし続けてください。あなたの祝福を私の家族みなでいただくことができますように。
そして、あなたが再びおいでになるときの心備えができますように。アーメン
この祈りは日常に神の国を探す心に溢れています。
この祈り手はなによりもまず、自分の小さな台所に主の関心のまなざしと豊な臨在が注がれると信じて祈り出しています。小さな日常の場に主の豊かな祝福があることを期待しているし、そこで神の国と出会えると信じているのです。
また、この祈りはとても純粋で素朴な祈りです。ある意味ではこども園で教えるような祈りに通ずる一種の幼ささえ感じる祈りの言葉です。
しかし、このような日常に主を見ようとする純粋な祈り心を持つ人が、変哲のない台所や畑で「神の国」という宝を豊かに見出すのです。 私たちの祈りがこのような心で満たされて行きますように。
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