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神様の宝物



「彼らは、わたしのものとなる。―万軍の主は仰せられる。―わたしが事を行なう日に、わたしの宝となる。」ヨエル3:17


米フロリダ沖には中世から財宝を積んだ沈没船の記録が数多くあり、この海域に沈んでいる宝の推定額は数百億円とも言われています。


2014年、そのフロリダ沖でトレジャーハンターのシュミット一家が17世紀のスペイン王朝にまつわる歴史的な宝を発見し大きな話題となりました。彼らは数年前に、この海に眠っている財宝の中でも最上のものと言われている「アーク」という手のひらほどの黄金の装飾品を発見していましたが、最初の発見時にはアークの外枠しかなく中身の部分が抜け落ちていました。しかし、なんとその年のトレジャーハントでそのアークの中身が発見されたのです。

広大な海の中で抜けおちた手のひらサイズの宝が見つかることはまさに奇跡的な発見です。


この宝探しには日本のTBSが参加しており、次の年の正月番組でその様子が放映されていましたが、TVを見ながら宝を発見した人の喜ぶ姿に驚かされました。その時の様子はまさに狂喜でした。アークが水中で見つかった時、発見した人は驚きと喜びのあまり気が狂わんばかりの奇声をあげていました。


また、番組の最後には日本のスタジオにアークが登場する予定だったのですが、アークの価値があまりにも貴重なため、フロリダ州からアークを州外に持ち出す許可が下りませんでした。本物の宝は発見されると国を挙げて守られます。宝は最高の待遇で取り扱われるのです。



みことばに目を留めると神様は私たちを「わたしの宝」と呼ばれます。驚くことに私たちは神様の宝物なのです。美しい空の星々さえ所有されている方が、他のものではなく私たちをご自分の宝と呼ばれます。神様にとっての自分の価値に心から驚かされます。詩人フランシス・リドレイ・ハバカルは神の宝である喜びをこう歌いました。


「私は私のものではなく、当然彼のものです。今は彼の特別な宝です。彼の目には麗しく、尊いのです。彼の冠となるために買い取られました。彼は探し求めた者を守られます。買い取った花嫁を安全に保たれます。彼は選んだ者を大切にし、絶えず愛し、決して失いません。」



私たちはただの宝ではなく罪の中に失われていた宝でした。神様が罪の滅びから私たちをその手に取り戻されたとき、神様の心はどれほど喜びに満たされたでしょうか。そして、いま私たちは見つけ出された宝として神様に扱われています。絶えず愛され、決して失われないように守られている存在なのです。

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