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私たちの役割


エペソ2:10 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。


ノルウェーの未来学者ヨルゲン・ランダースは予測される将来の環境問題に関心を持ってもらうために、社会に対して「もし自然がその営みをやめてしまったらどうなってしまうでしょう?もしミツバチが受粉を助けなくなったら、自然が飲料水の蒸留をしなくなったら、樹木が二酸化炭素の吸収をやめたら、細菌が廃棄物を分解しなくなったら…どうなってしまうでしょう?」という問いかけをしました。


少し考えただけでも世界が大変なことになると予想できます。この問いを通して自然を見つめると、私たちの生活は普段は気にも留めない自然の営みの上に成り立っていることに改めて気づかされます。自然の働きなしに私たちの命はありえません。



神様は天地を創造されたとき、魚は水の中に、鳥は空の上に、といった具合に被造物の一つひとつを意図した場所に配置しその生き方を定められました(創1~2章)。


そして、被造物が神様に従いそれぞれの生き方(役割)の中で生きると世界は最高の輝きを放ち、地上には命が溢れ返りました。反対に人が神様に従うという生き方を止めたとき、世界は罪によって暗くなり死が地上を支配しました(創3章)。


ここには一つの重要な法則があります。それは、被造物が神様に定められた役割を果たすとき世界は生き、役割を止めると世界は死に向かうということです。


パウロはキリストにあって新生した者は神様によって定められた大切な役割を担っていると語ります。それは良い行いをするということです。生活の中で良い行いを通して創造主を示し、他の者を創造主にある本来の生き方に導くという役割です。


もちろん、良い行いは私達の救いに関して全く関係ありません。キリストへの信仰のみが救いの条件です。この箇所で勧められている良い行いとは、救われた者が聖霊に満たされ、救くわれた喜びの中にあって行うものです。


未来学者が問うたように、小さなミツバチの小さな役割は世界に大きな結果をもたらします。ましてや私たちが担っている役割は世界にとってどれほど重要なものでしょう。私たちが良い行いに生きるという役割を果たしていくとき、どれほど小さく誰にも気づかれないような行為でもそれは大きな結果をもたらします。


私たちが愛したり、赦したり、助けたり、誠実であったりするとき、まわりにある家庭、職場、友人、あらゆる関係に神の命が流れ込んでいきます。

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