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自分の畑を耕す


箴言12:11 自分の畑を耕す者は食糧に飽き足り、むなしいものを追い求める者は思慮に欠ける。

聖書の知恵によると自分の畑を耕すことが人生の豊かさの鍵だ。反対に「むなしいもの」を追い求める者は思慮に欠け豊かさを失っていく。

ここでの「むなしいもの」とは私達がすぐに連想しがちないわゆる罪なことではない。それらのことも含むだろうが「自分の畑」に対しての「むなしいもの」と語られているということは、それはどんなに頑張っても自分のものにならない他人の畑のことであり、自分の所有物以外を追い求めることを指している。

私たちは隣人の畑に強い関心を寄せる。「あの人の持っている才能は、顔は、仕事は、家族は、妻は、夫は、子は、、、、」と、隣人のものが自分のものになることを夢想するが、根本的にそれらのものは追い求めても自分のものにならない。私と隣人は能力も性格も骨格も別物だ。似ている人はいるが人は皆DNAレベルで別の存在なのだ。同じものを求めても同じようになるはずがない。それもで執拗に隣人の畑を追い求めるなら自分の人生が歪む。不自然すぎる行き過ぎた整形。不倫。SNSに偽りのセレブ生活を載せ続ける人。挙げればきりがないがどれも心根には隣人のものを追い求めている姿が見える。

また、隣人の畑を耕そうとするいう心もある。「あいつが変われば状況が変わるのに、、、。あの人がもっとちゃんとやってくれれば、、、。」そのように隣人を変えることによって益を得ようとする心だ。人を見てあれこれと指摘し文句を言うが自分を変えることには盲目な心だ。燐人にアドバスを送ったり励まし合うことは大切だが自分の畑を耕すことをしないなら、これもまた燐人の所有物を求める心であり、空しいものを追い求める人の姿だと思う。

「私たちは、他人についてあれこれ考えるのにたいへんな時間を費やします。周りの人や 遠くの人について、くどくど意見を交換して心を乱し、変えねばならないのは何よりも自 分の心であり、また変えることができるのは自分の心以外にない、という真理を無視してしまいます。」ヘンリ・ナウエン

ナウエンが指摘する通り私たちが変えることが出来るのは自分の心であり、自分の心以外は変えれないのだ。隣人の畑にどれだけ関心を持ってもそれは本人以外には触れることの出来ないものなのだ。 「自分の畑を耕すものは食料にあきたりる。」結局のところ私たちに大切なことは、神様が私に下さった畑に真剣に取り組んで行くことだ。小さな畑だろうと、土の色や性質が隣の畑に比べて見劣りしようと、愛の神が私に与えて下さった畑なのだ。神の賜物として自分の畑を受け取って鍬を振るう。そんな信仰のもとには飽き足りるほどの人生の収穫は訪れる。

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