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自制について


ガラテヤ5:22-23 御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。 御霊の実の最後の実は自制である。この御霊の実の順番はとても大切だ。なぜなら自制は、その前に並んでいる御霊の実を豊かに用いていくための実であるからだ。自制ついてトーザーはこう語っている。 「自制は、各部分が一致して働き、波を切って進んでいく行く強力な船をコントロールする操舵手のようなものである。自制は、キリスト者の生活において、すべての機能を他の機能と調和させ、人格全体をその人に対する神の計画と調和させるものである。」A・W・トーザー  愛は確かに素晴らしいが、愛は感情と深く結びつくので手綱を握っていないと暴走して人を傷つけることもある。喜びも何を自分の喜びとするか選択はとても大切である。私たちは陰口を喜びと感じてしまう弱さを持っているからだ。 寛容も同じように、ときとしては相手の罪の問題に立ち向かうためことから逃げるための口実となる。親切は知恵を持って使わないと、相手にとっていらぬお節介となり不親切にもなりえる。善意も同じだ。 誠実はどうだろうか。誠実も相手の配慮や方向性を間違えばただの自己義と自己満足に陥る危険性がある。柔和は、勘違いすれば真理を歪曲する妥協の道具と化す。 つまり、御霊がもたらす実にも、それらを適切に用いるための自制:セルフコントロールという最後の実が必要なのだ。御霊の実は「9個の中から私達が好きなものを選んでよい」と聖霊に差し出されているものではなく、全てで一つの実である。聖霊の実をすべてを求めていくようになりたい。 また、自制は御霊の実である以上、私達が手に入れていくものではなく与えられていくものである。自制は信仰を通して与えられるのだ。つまり、神様が下さると信じて自制の一歩を踏み出してみるということだ。「約束の地を目指してとりあえず歩き出す。」そんな歩みを始める時に、自制は御霊によって私の内側に実っていくのだと信じる。


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