創世記1:2 地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
天地創造の経緯の中に茫漠という言葉が出てきますが、ヘブル語の原語でトーフーボーフーという言葉で、「生産不可能な地」という意味です。絶望的なほどいのちの気配がなく、何も生まれてくることの出来ない場所、それがトーフーボーフーの世界です。
そこに神の霊が働かれ、「光よあれ」の御言葉とともに命が創造されていきました。ここには天地創造の経緯だけではなく、「茫漠の世界」に働く聖霊なる神の希望に満ちたメッセージが込められています。
新村登さんは「人生の茫漠」に働く聖霊を体験された方です。新村さんはタクシー会社で長年真面目に働いてこられましたが、あるとき信頼していた友人に裏切られ保証人として多額の借金を背負わされます。
全財産をつぎ込み何とか借金は返済したのですが、友人に裏切られたショックと怒りで仕事に手がつかず職を失ってしまいました。高齢で病気がちの母親との二人暮らしでしたので、転がるように生活苦へと落ち込んでいきました。
思いつめた新村さんは、母の合意のもとに睡眠薬で心中自殺を図りましたが、病院で目が覚めお母さんだけが亡くなりました。すべての気力を失った新村さんは橋の下でホームレス生活を送るようになりました。
合意の上とはいえ母の命に手をかけた罪悪感と、元凶となった友人に対する怒りが毎晩新村さんを苦しめました。心身ともにボロボロになった新村さんは「いつ死んでもいい。」と死んだように生きる毎日を送っていました。
そのような生活の中、新村さんは地元の教会が行っている炊き出しがきっかけで聖書の話を聞くようになります。最初は「人を赦すことなんてできるか‼」と憤りながら聞いていたメッセージですが、教会の人々の親切に心が少しずつ動かされていきました。そしてある時、「わたしの目にあなたは高価で尊い。」の御言葉を通してはっきりと神様に触れられます。「こんな私のような者を尊いと呼んで下さる神様。私も友人を赦します。」そう心から祈ることができました。
その日以来、毎晩苦しめられていたあの罪悪感と怒りから解放され、生きる希望が湧いてくるようなりました。現在は生活を立て直し、神を愛しながら生活されています。
どのような絶望的な状況においても、聖霊が働かれる所には希望の光と新しい命が創造されていきます。
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