創世記 39:4-5 それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。
ヨセフは不幸な人でした。ヨセフが父に特別に愛されているという嫉妬から兄たちはヨセフを奴隷として売り飛ばしてしまいました。兄達に奴隷に売り飛ばされる、古代社会とはいえこれはかなりキツい出来事です。ヨセフが自分の人生を嘆いて腐っていも全くおかしくないような状況でした。
しかし、ヨセフは奴隷として売られた先で懸命に生きました。そして、彼が仕えたポティファルの家は経済的に大いに祝福されました。祝福の根底には「主の祝福」があったことが書かれていますが、主人ポティファルがヨセフを愛し財産の管理のすべてを任せたということは、ヨセフはこの家で信頼される振る舞いと仕事をしたということであり、ヨセフが不幸な境遇の中でも腐らずに懸命に生きて働いたという証拠でもあると思います。
圧倒的な不幸な状況の中で懸命に生きるヨセフの姿から豊田信行師はこのような示唆に富んだ言葉を語ります。
「ヨセフは被害者意識に埋没しなかった。‥・被害者意識に振り回される状態は、他人に人生の決定権を許している状態である。人生の主体性は自己決定から生まれる。いかなる状況の中においても自己決定権を放棄しない。大きく偉大な神の摂理(理解を超えた境遇)の中で自己決定(自分の人生を自分のものとして生きること)を選ぶなら、だれかに振り回される人生から、自分の人生へとなっていく。豊田信行 アジアンアクセス研修より」
被害者意識に埋没することは「あの人のせいで私はこうなった。」という思いに囚われて生きるということであり、加害者に人生を振り回されている状態のことです。
起きた悲惨な出来事を変えることは出来ないし、被害者であることも変えられないことです。傷ついた現実も変えられません。しかし、それでも私たちは加害者に振り回され続けることを止めることは出来るのです。そして、最悪の中からでも良い方向に向かって人生を立て直し始めることは出来るのです。
ヨセフは押し付けられた過酷な境遇のなかで「自分の人生を生きる」ことを選びました。腐らずに与えられたことに向き合い、仕事に挑戦し、誠実に汗を流しました。そして、最悪の状況の中から、人から信頼を得る人生、認められる人生、他者の祝福となっていく人生を得て行きました。
最悪の状況の中で被害者意識に埋没することをやめて自分の人生を取り戻すこと、それらのこと自体が神様が最悪の中に下さる一つの祝福だと思います。
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