ルカ15:4「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。」
あるとき実家で飼っている猫の一匹が家に戻って来なくなることがありました。二日ほどたったあたりからいよいよ心配になり家族総出で近所を捜しました。しかし、どんなに捜しても見つかりません。結局五日間捜しても見つかりませんでした。もうどこかで事故にでもあって死んでしまったのではとみんながあきらめかけている中、私の弟はあきらめずにその日の夜もう一度捜しに出て行きました。
彼が猫の名前を呼びながら捜していると、近所の大きな農機具倉庫から猫の鳴き声が聞こえてきました。捜していた家の猫でした。どうやら扉が空いている時に入り込んだ後、そのまま閉じ込められてしまっていたようです。
弟が猫を見つけた知らせを聞いたとき、涙が出る程嬉しかったです。そして、無事に家に帰ってきた猫を見ながら、弟のように追いかけて捜してくれる存在がいることはどれほど幸せな事かと考えさせられました。
もし家の猫が誰にも捜されない野良猫だったら、人知れず暗闇の中で死を迎えたでしょう。また捜されても簡単にあきらめられたら、助けを叫んでも届かず、恐怖の中で怯えながら死んでいったでしょう。
私たちにも、私たちを追いかけ捜してくれる存在がいます。イエス・キリストです。私たちは罪の暗闇に迷い込み死に絶えるような歩みの中にいましたが、二千年前のクリスマスにキリストは天の御国から迷い出た私たちを追いかけこの地上に来て下さいました。
キリストが追いかけるほどの愛で、あきらめず捜し出して下さるほどの愛で、私たちを愛してくださなければ私たちは暗闇の中で死を迎えていました。
クリスマスには私たちを追いかけ捜して下さるキリストの愛が現されています。今年も私たちに注がれたこのキリストの愛に打たれながらこの季節を過ごしたいと思います。
クリスマスは宣教の時として大いに用いられるべきですが、何よりも私たちが主の愛を思い起し喜ぶ時であることを忘れないでいたいと思います。
弟に助け出された猫は、今では家族の中で誰よりも弟を愛しています。弟が家にいる時は片時も離れず、家にいない時は弟の部屋で帰りを待っています。彼女(メス猫)はまるで弟に恋をしているかのようです(私には目もくれません笑)。
きっと助け出された時の弟の腕の温もりが彼女の心を捉えているのだと思います。私たちもイエス様に対してそのような思いでありたいです。
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