復活の主の昇天後、エルサレムでは約120名の弟子たちが約束の聖霊を求めて集まっていましたが、彼らはただ祈って聖霊を待っていたのではなく、主を裏切ったユダの欠員を埋めるために新使徒を選ぶ会議も行っていました(使徒1章)。
教会の誕生と呼ばれるペンテコステの一連の出来事に、初代教会が「組織づくり:体づくり」をしていた姿が記されていることは非常に重要なポイントです。
例えば、私たちが誰かを本当に愛したいと願うならば、実際に愛を行動に移す体が必要です。愛を届けたいと思うなら愛を語る口が必要ですし、差し伸べる手も必要です。また、相手へ駆け寄るための足も必要です。愛は心だけで願っていても現実に姿を現しません。心を現実化する体が必要なのです。
また、その体についても単に腕がついているだけでいけません。骨と筋が組み合わされ、健全に稼働する体である必要があります。同じように教会も主への愛と信仰という心だけではなく、その信仰を生きるための健康な体:組織が必要なのです。
時どき、私たちの信仰は教会においても個人においても、内側を重要視しすぎて外側を軽視する傾向がありますが、イエス様は外側を軽視するどころかとても大切にされた方であることを思い出したいと思います。
例えば、主は新しいブドウ酒には新しい革袋が必要だと譬え話をされました。また、夜通し祈りながら弟子の中から12使徒を選ばれ弟子たちの組織を作られました。五千人給食の奇跡では、パンが配られる前に人々を50人ほどの組にして座らせました。
私は個人的には主の働きを引き継いだ弟子たちであったからこそ、彼らはユダの欠員を何よりも最初に埋めたのではないかと思います。また、その後も、彼らは方々で教会を建て上げる中で、教会を無秩序な弟子の群れにせず、五役者(使徒、預言者、伝道者、牧師)と呼ばれるリーダー達を中心に「秩序ある組織、人々が組み合わされて機能する組織」として教会を建て上げました。
パウロは組織だった教会の在り方を「キリストの体」という言葉を持ってその霊的な意味を教えました。(エペソ4章)つまり、教会組織はキリストの愛と心を、この世界に現実に表すための大切な「体」であるということです。
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