小さい頃、映画のピーターパンを何度も見ました。ネバーランドの空を飛び回り、好きなものを食べ、好きなときに寝る、そんなピーターパンの生活に憧れました。
しかし、大人になってピーターパンが本当の意味で表現している姿を知りました。それは、自分勝手な少年を永遠に生き続けてしまう「成長できない人」の姿です。(心理学では心理的に大人になれない問題のことをピーターパン症候群:PPSと呼びます。)
私達は自然とピーターパンを好きなことをして、自由に生きる「幸福な人」だと見ますが、実際はそうでなく彼は「不幸な人」の代表であり、反面教師なのです。
このピーターパンを生み出した作家のジェームズ・バリーは幸せについてこう書き残しています。「幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、自分がやるべきことを好きになることだ。」
彼の言うように本当の幸せとは、好き勝手に出来ることではなく、自分のやるべきことを知り、それに喜びを持って主体的に取り組むことなのです。
教会にも同じことが言えます。幸せな教会とは自分達の好きに歩んでいる教会ではなく、自分達のやるべきことを知り、それに喜びを持って取り組んでいる教会です。
では、私たちがやるべきこととは何なのでしょうか?それは前回に書いた教会創設の根っこに示されている「世界宣教と北陸宣教」なのです。
しかし、大抵、宣教という目的を聴くと多くの人が残念な気持ちになります。(少なくとも私はそうなりました。)しかし、ここが大切な所です。
「やるべきこと」とは大抵の面白くなく見えるモノなのです。小学生が勉強をしたくないと思うように、始めはつまらなく、やる価値が低いと感じるモノなのですが、実際は算数の先に天文学という星々の世界が広がっているように、「やるべきこと」の先にある世界の広がりは信じられないほど魅力的なものなのです。
「わたしについて来なさい。マタイ4:17」主は沢山の人を宣教の働きへ招きましたが、多く人が家族や財産(仕事)を理由にその招きを断りました。自分がしたいことを優先したのです。しかし、12弟子と一部の弟子は、自分を捨てて主についてくことを選びました。私たちの教会もそうありたいです。
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