作家マーク・トウェインは「人生で一番大事な日は二日ある。生まれた日と、なぜ生まれたかが分かった日である。」と記しましたが、自身の存在の目的を知ることは重要なことです。
詩篇139:16には「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべて書き記されました。私のために作られた日々が、しかも、一日もないうちに。」とあるように神様は目的を持って人を造られます。またそれは人の共同体である教会も同じであり、神様は一つ一つの教会を目的を持って造られます。
時々、「教会はビジョンを掲げることが大切だ」という声を聴きます。確かにビジョンは重要でありその意見に反対するわけではありませんが、しばしば「私は〇〇が好きだから、〇〇のある教会にしよう!」という具合に人の願望がそのままビジョンに掲げられ、ビジョンが単純化されてしまっていることがあります。
夢を見ることは大切ですが、どんなにワクワクするビジョンを掲げても、それがもし神様が与えられた目的とは違うものだったらその教会の歩みは空しい歩みになってしまいます。大切なことは、教会が神様の物語の中で目的を持って作られた存在ならば、教会のビジョンもその目的に沿って掲げていく必要があるということを知ることです。
では、神様が「私達の教会」に与えられている目的とはどのようなものでしょうか?明確な目的が二つあります。それは「世界宣教と北陸宣教」です。つかみにくい大枠のように感じるかもしれませんが、この二つの目的こそが二人の宣教師が私達の教会を建て上げて行くときに神様に与えられたと明確に握っていたものでした。
そして、宣教師たちは本気で北陸に宣教しようとしたので、地域にアプローチ出来るように英語クラスや、幼稚園を具体的なビジョンとして掲げ取り組んだのです。また、世界宣教に出ていく教会になりたいから、信徒を励まし宣教師を送るチャレンジをしてきたのです。
「私は〇〇をしたい!」というビジョンが土台の歩みでなく、常に神様の教会に対する大きな目的が土台となっている歩みです。
これからも私達は神様の目的に従って教会を考えて行きたいと思います。
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